北大江街案内 / 歴史ストーリー
上町台地北端より(vol.2)
Posted on 2014-03-10
中世から近世の変わり目には争乱が続く戦国時代が起きました。各地で一向一揆を起こした一向宗の本山であった石山本願寺は、瀬戸内海の東端に面し、淀川や大和川の水運を通じて京の都や大和盆地などともつながる地の利もあって、織田信長と対立することになります。いわゆる石山合戦という10年余にわたった戦乱が北大江界隈にも波及してきました。(八軒家かいわいマガジンHP→津の国ものがたり・楼の岸)
そして、信長の跡を継いだ羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が、本願寺跡地に大坂城を築城し、北大江界隈はその城下町として整備されます。北大江公園の南側に東西に広がる島町は町名は、豊臣家の五奉行の一人・石田三成の家老であった島左近の屋敷跡にちなむという伝承もあります。
豊臣大坂城は400年前の大坂冬の陣・夏の陣を経て落城し、徳川家康の孫の一人・徳川忠明が大坂のまちの戦後復興を担いました。北大江の東側は奉行所などの武家地、西側は商業地となり、天下の台所であった大坂の一翼を担うまちへと発展していきます。
また、大川端の八軒家浜には船着き場が整備され、淀川を上り下りしたり、大阪と全国各地を結ぶ菱垣廻船などの大船とのあいだをつなぐ川船の発着場としにぎわいました。土佐堀通付近や北大江公園あたりには船を使う商人や旅人が利用する旅館も多く建ち並びました。(八軒家かいわいマガジンHP→津の国ものがたり・八軒家浜)
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