北大江街案内 / 歴史ストーリー
上町台地北端より(vol.3)
Posted on 2014-03-09
明治維新を経て、大阪のまちは近代化・西洋化しはじめます。北大江界隈も洋服関連の繊維業が立地しはじめました。また大川の舟運に代わり、京都と大阪を結ぶ鉄道のターミナル(現京阪本線天満橋駅)も造られ、市電網も整備されて、交通拠点としての機能も近代化していきました。しかし、次第に影を落としてきた戦争が空襲という形で北大江を襲います。一帯は6月7日と7月10日の大空襲により、すべてが灰燼に帰しました。(八軒家かいわいマガジン→大阪大空襲あの日あの時)
戦災復興の歩みは道路の拡幅や地区東側の官公庁街化などを通して、まちの姿を一新しました。繊維のまち・商都大阪の一画として、高度経済成長期にはとてもにぎやかなまちでした。70年代に入るとマンションが建ちはじめ、都心居住の地として再びまちの装いを進化させてきました。
そして現在の北大江のまちは、利便性に富みながらも、休日や夜間は静かな都心として古くから住み続けている方、新たに引っ越してこられた方、この地で働く方や学ぶ方など多くのみなさんに愛される続けています。
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